2025年11月30日日曜日

曜日とワーク・ライフ・バランスを考える

私は幼稚園の頃からずっと日曜日は休むものだと思ってきました。

これは学生になっても、社会人になってもずっと同じで、ごく当たり前の価値観で生きてきました。

今では制度が変わり、土日が休みだという認識に変わってきています。

一時期サービス業の仕事をしていた時は、平日が休みでしたが、曜日が決まっていたり、シフトで休みが決められていて、私はそれが休みだと思っていました。

ですが、これらはよく考えてみると、誰かが決めたルールで、私はそれに従って休んできました。

これらには一定の流れがあり、それに従って休みがありました。

本来、自然の流れでは、それぞれ自分のサイクルがあり、人間以外の生き物は自分のぺースで生きています。

生き物は機械やロボットではないので、一定のリズムで動いたり、休んだりはしないのに、なぜ人間は曜日などの決められたサイクルで動いているのか不思議です。

なぜ人間だけが、誰かが決めたルールに従って、休んだり、活動したりしているのでしょう?

これが長い間続いてきたことも不思議です。

ここに本来の自分のペースと、外側で決められたルールとのギャップがあり、それがさまざまな歪みや問題を引き起こしている一つの要因ではないかと思っています。

曜日は昔から当たり前のように存在してきました。

なので、私はごく当たり前に曜日に従ったルールで生活してきました。

曜日があること自体に問題があるのではなく、それに倣って自分の生活サイクルが決まること、すなわち曜日という自分の外側に合わせて生きていることが不自然なのだと気付きました。

曜日に合わせるのではなく、自分のペースで休む日を決めた方が、今よりもかなりやりやすくなりますし、効率的に仕事や他のことを行えるような気がします。

それが私にとっての本当の意味でのワーク・ライフ・バランスなのだと思います。

以前はどのような休日形態でも、休日の夜や休日明けは気分が下がることもありました。

ですが、自分のペースで休んだり、仕事をしたり、それ以外の活動したりすれば、ある曜日や日にちによって重い気分になることもないでしょう。

また、体調が思わしくない時は休むことを優先し、今までのように無理して活動することもなくなるでしょう。

ワーク・ライフ・バランスの捉え方は単に休みを増やせばよいということでもなく、やはりそれぞれのバランスが大事で、このバランスが崩れると、さまざまな弊害が起きてくるのだと思います。

また、ワーク・ライフ・バランスも誰かが決めたルールではなく、自分の内側で判断したペースでバランスを取っていくことが重要だと感じています。


2025年11月22日土曜日

自信が持てない理由

そもそも自分の判断に自信があれば、やらなくてもよい「めんどくさい」ことをやろうとは思わない。

だから、「めんどくさい」の下には「自信がない」が隠れているのかもしれない。

そして、自分は自信がない、自信が持てないと思っているかもしれないが、そもそも自信が持てないような世界に目を向けていただけだとしたら?

そもそも自分が向けるべき世界ではない方に目を向けていただけだとしたら?

そこにフォーカスするのをやめれば、自信がない、自信が持てないという気持ちを抱く必要はなくなるだろう。

なぜなら、自信がない、自信が持てないの下にはずっとありのままの自分がただ隠れてしまっていただけだから。

そして、自信が持てない世界を見なくなると、そのままでよいという全肯定の自分の存在があることに気付く。

さらに、そこから派生した自分が、好きなことや興味のあることに意識を向けていけば、もう自信がない、自信が持てなくなるような世界にいる必要はなくなる。

2025年11月21日金曜日

「めんどくさい」の理由

 「めんどくさい」と感じてしまう理由を挙げてみました。


・「やってあげなきゃいけない」と思っている時

・「やりたくないけど、やらなきゃいけない」と思っている時

・「やりたい」けど、今がそのタイミングではない時

・「やること」に対して、やり方をもっとシンプルに変えたほうがよい時

・疲れている時、心身の体調がすぐれない時

・「そもそもやらなくてよいこと」なのに、何らかの外的要因で、そう思い込んでいる時


などがありました。

私が出した結論としては、「やったほうがよいのか」と思った時、「めんどくさい」や「心が重い」と感じた時はやらない方がよいし、大抵の場合は「やらない方がよい」のだと思います。

なので、今後はその選択を取っていくことにしました。

また、「やったほうがよいこと」に目を向けるのではなく、「やりたいこと」に意識を向け、その時間を増やしていきたいです。

結局、本当にやりたいことは、あれこれ考えることなく、気付けば行動に移しています。

なので、あれこれ考える時点で、それは今、本当にやりたいことではないのだと思います。

もっと早くやっておけばよかったという後悔も、その時はやらなくてもよいと感じていたことなので、その決断は間違っていなかったでしょうし、今がそれをやる時なのだと思いました。

これからは「めんどくさい」と感じることではなく、「めんどくさくない」と感じることを選んで行動していきたいです。

2025年11月19日水曜日

「めんどくさい」という感情を無視しない

私はおそらく物心付いた頃から、時々「めんどくさい」と感じていました。

そして、心の中でそう感じながらも、なんとか日々の生活を送っていました。

もちろん、すべてのことがめんどくさいわけではなく、時々、そう思ってしまうことがありました。

今までは「めんどくさい」と感じていても、その内なる声を無視して行動してきました。

その結果、やりたいことややらなければいけないことを遂行することができ、「やってよかった」と思っていました。

ですが、実は心の中の水面下では、「めんどくさい」が長年、溜まりに溜まっていました。

そして、この「めんどくさい」を無視し続けたことによって、「とりあえず周りに合わせておけばよい」という、ものぐさな思考が生まれてしまいました。

この思考を何の躊躇もなく、当たり前のように使っていた自分がいました。

このようなことに気付いたのは、なぜ自分は「めんどくさい」と感じるのだろうという疑問がわいてきたからです。

そして、この「めんどくさい」を手放せば、もう、このように感じることはなくなるだろうと思いました。

そこで、いつものように手放しをしていたのですが、予想を遥かに超える大量の「めんどくさい」が自分の中にあることに気付き、驚きました。

「こんなに溜め込んでいたんだ」と思うのと同時に、このことに気付けて本当に良かったと思いました。

私はいつも「めんどくさい」と感じる時、心の中が重い感じがします。

それでも何かを実行しようとすると、心の中のブレーキをかけたまま、前に進もうとするので、いつも抵抗を感じながら動き始めていました。

このことが結局は心の中の重さを増やし、無駄な疲労に繋がっていたように感じます。

この「めんどくさい」という小さな自分の心の声を無視せずに、きちんと認めてあげ、それを手放すことで、自分の心がずいぶんと軽くなっていきました。

この「めんどくさい」という声は決して怠けや甘えから来ていたわけではなく、むしろその声を聞いてあげる必要がありました。

それをせずに、心にどんどんその感情を溜め込んできたことで、さらにめんどくさい状況を引き寄せていました。

その事に気付いた今、私はこの溜まった「めんどくさい」の感情をどんどん手放しています。

そして、これからは心軽やかで、心のブレーキがなく、スムーズに、抵抗がない状態で行動していけるような気がしています。

2025年11月18日火曜日

心地よさの正体

心地よいと感じるものは、承認欲求を必要とするものではなく、ただそれがあるだけで、心が満たされる、幸せを感じられるようなものです。

心地よいと感じることで、気分が良くなるだけではなく、物事が良い方向へ進んだりします。

その一方で、心地よくいようとすると、ネガティブな事象が起こったりすることがあります。

心地よさによって、自分の中にあったネガティブな感情が浮き彫りになるからです。

この時、負のスパイラルに陥ってしまわないためにも、このネガティブな出来事や感情に引っ張られないようにすることが重要です。

このネガティブな事象を引き出した自分の中にある不快な感情を見つけ、それを手放していくことが必要です。

そして、常にできるだけ心地よい方へ意識を向けることが特に重要です。

ネガティブな事象を引き寄せるものが自分の中にあるのと同時に、心地よさを感じるものの元となっているものも自分の中にあります。

それが心地よさの正体であり、自分の内面を見つめていくことで、見えてくるでしょう。

それは揺るぎない大きな存在であり、自分がいつでも安心して帰れる(戻れる)家のような存在とも言えます。

この事が分かると、気分よくいるために、単に外側に見える心地よいものに意識を向けているのではなく、それが自分の内側にあるものの投影であることに気付きます。

心地よいものとうまく付き合って行くためにも、このことを知っておくことが重要だと感じています。

いつも心地よくいるためには、できるだけ自分の内面にある心地よいところに目を向ける、意識を向けるようにすることです。

このことを意識して行うことで、心地よさの正体の存在が大きくなり、より毎日を心穏やかに過ごしていくことができると思います。

2025年11月15日土曜日

やらなければいけないという思い込み

私は物心ついた時から、もしくはこの世に生を受けた時から、やらなければいけないという環境の中で生きてきました。

それは自分の周りのルールに従わなければいけないということかもしれませんし、好ましくない環境で暮らさなければいけないということだったかもしれません。

今の生活ではやりたいことがどんどん増えていく中で、やらなければいけないこともあり、キャパオーバーの状態です。

こうなると、いくらやりたいことであっても、時間や体力がそれに追い付かず、これらもやらなければいけないことになってしまいそうです。

だからと言って、やらなければいけないことを放置してしまうと、さまざまな支障がでてきてしまいます。

せっかく、やりたいことが増えてきたのに、それを後回しにして、やらなければいけないことを優先させてしまえば、元の生活に逆戻りで、心の中のモヤモヤは増えていく一方でしょう。

このようなことを繰り返さないためにはどうすればよいのか考えてみました。

すると、そもそもやらなければいけないという思い込みがそういった物事を引き寄せているのだと気付きました。

今まではやらなければいけないことの見方を変えて、できるだけやりたいことに関連付けて行うようにしてきました。

結果的に、表面的にはうまく行ったように見えました。

ですが、実際は予想以上の疲労感が残り、後悔することもしばしばでした。

そもそもやらなければいけないという思い込みが心の中にあれば、表面的にやりたいことに目を向けても、やらなければいけないことをやってしまっているということの状態は変わりません。

この事に気付いたことで、さっそく、やらなければいけないという思い込みを手放すことにしました。

この気の流れを手放しながら、この思い込みはとてつもなく長い間、自分の中にあったことに気付かされました。

その分、これが離れていくということで、今まであると思っていた自分の中の大きな枠のようなものが、ガラガラと崩れ去るのを感じています。

やらなければいけないという思い込みの概念は、あまりにも大きすぎるので、まだまだ手放しの途中です。

これをすべて手放した後の自分がどのような状態になるのか、今から楽しみです。

少なくとも、やらなければいけない時に起こる謎の緊張感や、それに伴う身体の不調はなくなるでしょう。

2025年11月12日水曜日

カフェインと糖分

カフェインというと、コーヒーが代表的ですが、私は体質的に飲めないので、紅茶を飲んできました。

さらに、チョコレートは大好きでずっと食べてきたのですが、これも体調などを理由に、かなり前から食べなくなり、たまにチョコレートが入ったアイスやお菓子を食べる程度になりました。

紅茶に関しては体調に支障がでるようなこともなかったので、長年ずっと飲んできました。

紅茶を飲むと、カフェインの効果だと思いますが、頭が冴えるというか、意識があるラインを超えるような感覚があります。

なので、何かをやらなければいけない時、集中しなければならない時などに飲んでいました。

ですが、好きなことをやっている時は、紅茶を特に飲みたいとは思いません。

どちらかというと、やらなければいけないことをする前が圧倒的に多かったです。

また、朝や日中だけではなく、夜間に紅茶を飲むこともありました。

今日、私はこの事について冷静に考えてみました。

やりたくないことをするために紅茶のカフェインに頼るよりも、そこまでして頑張ってまで、やりたくないことをしなくてもよいのではないかと。

そう思ったら、急に今までとは見え方、捉え方が変わってきました。

やりたくないことをしようとすればするほど、やりたくないことをしなければいけない現実を引き寄せているのではないかと思ったのです。

それならば、紅茶を飲むのを止めて、頭が冴えなくても、自分ができることをやった方がよいのではないかと思うようになりました。

カフェインについてはさまざまな意見がありますが、私にとってはもしかしたらもうそれほど必要がないものかもしれません。

カフェインの離脱症状は、私の場合は紅茶を一杯止めるだけなので、それほど出ないように思います。

むしろ、カフェインを摂っていた時の無理に頭を冴えさせているような感覚がなくなり、心身に無理をさせなくてすむので、良い方向に進みそうです。

また、砂糖も同じで、頭を働かせるために糖分を摂っていたところがありました。

私はそれほど甘党ではありませんが、やはりストレスなどがあると、糖分を多く摂っていたように思います。

なので、甘いミルクティーを毎日のように飲んでいました。

私はこれからもカフェインや糖分は摂っていくでしょうが、今までのように、常習的ではなく、たまに摂る程度にしていこうとで思います。

2025年11月11日火曜日

物質世界は依存世界

物質世界をさらに深掘りしていくと、そこには依存(犠牲)世界があることが見えてきました。

物質世界は、自分以外の外側の目に見えるものが中心となっています。

そして、自分以外の目に見えないものが中心となっている世界もあり、これもまた依存世界なのでしょう。

目に見える、見えないに関わらず、自分の外側の何かを中心として動いてしまうと、そこには依存(犠牲)が生まれてしまいます。

当然、自分の外側の何かに重心を置くのですから、自分との間にズレが生じてきます。

これがストレスとなり、さらに外側に合わせていけば、何らかの病気になってしまうのは必然的と言えるでしょう。

ストレスや病気は「自分とズレていますよ」という内なる自分からのサインです。

これを無視し続ければ当然、状態や症状はさらに悪化してしまいます。

一見、これらの原因は自分の外側にあるように思えるかもしれません。

常に自分の外側に重心を置いて生きてきたのであれば尚更です。

しかし、本当の原因は自分の内側にあります。

自分の内側を無視して、外側にばかり目を向けていれば、どんどん事態は悪化してしまいます。

ですが、自分の内側に意識を向けることで、本当の原因が分かり、根本的に解決、好転していくことができます。

物質世界が中心となったのは人類の歴史から見れば、そう長い期間ではないでしょう。

それよりも前には、自分の外側の精神世界に依存する時代があったのかもしれません。

人類は長い間、何かに依存する世界を生きてきた(作ってきた)とするならば、今、そこから卒業する時期がきているように思います。

多くの人々が本来の自分と分離してしまっていたからこそ、優劣や格差のようなものを感じてしまっていたのかもしれません。

他にも、自分以外の外側の何かに依存しなくても、自分自身に依存するということもあり得るでしょう。

これもまた、自分に対して無理をさせることに他ならないような気がしています。

あくまでも自然体のままの「あるがまま、そのままの自分」でいることが、「私は愛そのもの」であるという無理のない本来の自分の姿なのではないかと思います。

私はこの長い間続いてきた依存世界を卒業するために生まれてきたのかもしれません。

私は愛そのもの

「私は愛そのもの」という言葉は以前からどこかで目にしてきた言葉でした。

なんとなくボンヤリとは分かるけれども、その実感が伴いませんでした。

それが、昨日、「私は愛そのもの」という気付きを得ることができました。

それは、「私は愛そのものになる」という外側からの要求ではなく、明らかに「私は愛そのもの」であると感じることができています。

私は以前から心の中の不要(不用)なものを手放す作業を繰り返してきました。

そして、ここ数日は自分が本当に大切にしている2つの信念を除き、それ以外は手放すという作業を行っていました。

この手放しの作業は抜けるまでが少し大変ですが、抜けた後はとても楽になります。

そして、昨日、最後の手放しが終わった後、私の中での物質世界は終わりました。

その後、私は心の中で愛を探していることに気付きました。

ですが、すぐにその答えは自分だと気付きました。

「私は愛そのもの」だと気付いたことで、真っ正面に自分で自分のことを受け入れられるようになりました。

もう、外側の何かに頼らなくてもよいし、何者かになる必要もない、外側から恐怖や不安を煽ってくるようなことがあっても、それらに振り回されず、自分の愛の中に戻ることができます。

そこにはとてつもなく大きな安心感があります。

「私は愛そのもの」だからこそ、愛を感じられるものが外側に反映していることに気付きました。

多くの人がこの事に気付いたとしたら、人間界は大きく変わっていくでしょう。

それとも、気付いた人と気付かない人との二極化が進んで、いずれお互いが見えない存在になっていくのでしょうか。

今日は11月11日です。

新たなスタートを切るにはとても相応しい日です。

このタイミングで私は大きな嬉しい気付きがあったことに心から感謝したいと思います。

そして、これからは無意識に自分に嘘をつく必要がなくなったことで、無駄に緊張することなく、心底リラックスしながら、自分らしく生きていけることがとても嬉しいです。


ハイヤーセルフと繋がる

自分の内側に意識を向けるようになると、自分の外側に振り回されにくくなります。 さらに、高次元の自分(ハイヤーセルフ)と繋がることによって、自分が進むべき道が見えてくるように思います。 なんだかスピリチュアルな話になりましたが、これからの時代はいかに自分軸で生きていくかが重要になっ...